関東から東北にかけて8社を抱え、砕石の専門メーカとして国内有数の生産量を誇る藤坂グループ。その創業者自らが「金色に塗装して置いておきたいぐらい」と絶賛するビンテージマシーンUH50(ローディング仕様)は、本社工場の高台で同社の発展を静かに見守り続けている。
かつて日本が高度経済成長期の真っ只中だった頃、砕石業界は“モノを作れば売れる”と言われていた。「当時、初めて導入した日立建機の機械がUH50。とにかく時間あたりの生産量が抜群で、会社の売上に大きく貢献してくれた」。そう語るのは、藤坂グループの社主(創業者)・山野井祥二氏である。
特に山野井氏が絶賛するのが、その操作性だ。大型機械がワイヤ式だった頃、操作は熟練オペレータの腕に委ねられるものだった。それが油圧式へシフトしたことで、経験の浅いオペレータでも軽い操作力でスムーズに操作できるようになった。「中でも日立建機の油圧ショベルは、初めて油圧ショベルを操作する人でもかんたんに運転できそうなぐらいバランスがいい。他の同じような大きさの機械も導入してみたけど、正直大きな差があった。UH50を含め、日立建機の油圧ショベルは建設機械の歴史を変えたと言ってもいいほど画期的だった」(山野井氏)。
半面、山野井氏は今の建設機械に対し一抹の寂しさも感じているそうだ。「ワイヤ式の建設機械は誰でも操れるというものではなかった。だから熟練オペレータは自分たちの腕に大きな誇りを持っていた。新しい機械が導入されるたびに、みんなで一緒に写真を撮ったりしてね。今はそういう感激はなくなったかも」。贅沢な悩みのようにも聞こえるかもしれないが、かつて自身も現場で大型機械を操作していた山野井氏の言葉には、当時の熟練オペレータと、進化していく建設機械へのリスペクトが感じられた。
藤坂グループ社主(創業者)
山野井祥二氏
良質な砕石資源を豊富に抱える栃木県は、過去数十年にわたり砕石の産出量日本一※を維持し続けている。藤坂グループは、現在、国内有数の生産量を誇る砕石企業として全国に製品を供給。常磐自動車道をはじめ、関東の多くの高速道路の表層には藤坂の石が使われている。さらに今後、砕石製品の生産設備を1工場に集約して生産能力の向上を図り、あわせて採石工区を拡大。生産の効率化とともに輸送の効率化を図る。
90年代後半から取り組み始めた環境事業についても、環境配慮型の大型中間処理設備を導入。環境製品設備も拡大する。藤坂グループの1社の株式会社祥和コーポレーションでは、首都圏で大量に発生している産業廃棄物を資源として有効活用していくために、大型の受入施設と輸送体制を整えた。また、受け入れた産業廃棄物を、100%リサイクルして再生製品として販売。道路路盤材や建築物の基礎材、木質バイオマスボイラーの燃料などを新たに供給している。砕石事業と環境事業に並ぶ3本柱として、森林事業も成長させていくという。「これからの時代、循環型社会に対応していくのは当然のこと。産廃リサイクルは業界内のルールも厳しく、社員も緊張感を持って取り組んでくれる。もしかすると3~4年以内には弊社内のビジネスシェアも逆転するのではと思っている」(山野井氏)。昭和から平成、そして令和へと時代は移れど、藤坂グループの攻勢はまだまだ止まりそうにない。
※出典:経済産業省 砕石等統計年報
UH50の後継機 EX1200
廃棄リサイクル事業に活用されているSR2000G
時代の移ろいは、社内の人材採用に変化をもたらしている。これまで地元中心で行っていた採用活動を、近年、日本全国からの新卒募集にまで広げはじめたのだ。これには、ファミリー的な職場環境の中に、新しい風とほどよい緊張感を入れていきたいという狙いがある。
それでもなお、これまで貢献してきた社員に対する思いは変わらない。働き方改革の一環として、社員の労働時間を短縮。グループ全社で完全週休2日制とし、勤怠管理システムを導入して残業を3割削減した。「ウチの社員は、みんな真面目に一生懸命働いてくれる。中小企業は真面目が一番。だから定年を過ぎても働きたい人は雇い続ける」(山野井氏)。M&Aで規模を拡大してきた中でも、社員を守り続けてきた藤坂グループ。近年は、これまで会社の資産として多大な恵みを与えてくれた“山”にもその恩を返すべく、森林保護事業に毎年多額の寄付を続けているという。
社員の定着率は高くベテランから若手女性まで幅広い人材が活躍している
「日立建機・日立建機日本は、社員も機械もとにかく真面目。あまり冒険しない社風」。これが日立建機に対する山野井氏の素直な評価だそうだ。社員は誠実で決して強引な売り込みをせず、アフターフォローもしっかりしている。機械も使いやすく、堅実に動いてくれる。ただ、その真面目ぶりが半面、保守的すぎるように見えることもあるという。
「産廃リサイクル事業に参入して感心したのが、どこの会社も研究熱心だということ。自分たちのアイデアで面白い機械をたくさん作っている。その点、砕石業界はどこも同じような機械を使っている」(山野井氏)。
山野井氏は、日立建機がかつて自社製造していた建設機械用エンジンや、国内向けの超大型ダンプトラックについても以前から高く評価していた。「他にも、油圧ショベルにホイールローダ・・・いつも日立建機の技術力には本当に驚かされた。それらを進化させ続けることも大事だと思うけど、今後お願いしたいのは“進化”より“革新”」。真面目さ、誠実さという社風はそのままに、冒険を恐れない探究心も忘れないでほしい。
ほほえみながら、山野井氏は最後にこう締めくくった。「私が土の中に入る前に、もう一度驚かせてほしい。日立建機を信じてよかったと思えるものを」。そのバトンは、いま日立建機の一人ひとりに託されている。
かつて藤坂で導入されていた超大型機EX5500
納入年 | 1980年(昭和55年) |
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号機 | 105 |
稼働時間 | 62,256Hr |
運転質量 | 157t |
定格出力(PS/rpm) | 400/1,800×2 |
バケット容量 | 8.4~12.0m3 |
特徴 | 運転質量、バケット容量、エンジン出力ともに発売当時、国産で最大のマイニング油圧ショベル。UH12~UH30の大型油圧ショベルの技術を集成。特に構造物と油圧機器の信頼性と耐久性向上を重点に開発。ヘッドガード付大型ハイキャブ、大容量の作動油クーラや、整備しやすい機器配置を標準化。 |
佐野にある本社工場の高台にひっそりと佇むUH50。アームには藤坂グループ団結のシンボル「和」の文字が刻まれている。
事業内容 | コンクリート用・道路用砕石の製造・販売、建築用骨材(石粉)の製造・販売、産業廃棄物中間処理業、産業廃棄物収集運搬業、自然石販売、土木建設請負工事、運送事業 |
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代表者 | 代表取締役会長 深澤和彦 代表取締役社長 古川恒光 |
設立 | 1973年(昭和48年)4月19日 |
所在地 | 栃木県佐野市中町1532 |
ホームページ | http://www.fujisaco.co.jp |