「愛情がなければ展示なんかしない」UH35

「愛情がなければ展示なんかしない」UH35

建機を訪ねて LEGEND09

矢野産業株式会社

機械の困難は人間で補う。
情熱が作り上げた“矢野産業仕様機”。

矢野産業株式会社は、宮崎に日向砕石工場・田野砕石工場・日南工場の3拠点を構える県内最大手の砕石企業。その隆盛を一番近くで見ていたビンテージマシーンは、矢野産業と日立建機それぞれの“人の力”で支えられ、進化した1台だった。

なにより“人”が優れていた

地元宮崎に根付き、道路用・コンクリート用砕石、道床バラストなど、良質な砕石製品を供給する矢野産業。同社と日立建機の取引がはじまったのは、宮崎県内に日立建機の販売拠点がまだなく、自動車会社の販売店を間借りしていた時代にまで遡る。「当時は川砂利や陸砂利を採取していた時代。油圧ショベルがまだ0.3㎥クラスが主流であり故障も多かった中で、日立建機の0.7㎥クラスはとても安定していた」(代表取締役・矢野久也会長)。
やがて、高度経済成長期とともに、同社の規模も右肩上がりで拡大し、日向・田野に大型砕石工場を相次いで開設。東九州縦貫自動車道の工事が本格的に動き出した1987年(昭和62年)、生産量拡大に対応するべくUH35が日向砕石工場に導入された。
「少し調子が悪いだけでも、担当者がすぐに飛んできて対応してくれる。日立建機はなにより“人”が優れていた。歴代の宮崎営業所の担当者の名前は全員分覚えているよ」と語るのは代表取締役・矢野俊也社長。「作動油タンクの調子が悪いと伝えたら、担当者がすぐに設計者を連れてきて特別仕様のステンレス製タンクを作ってくれた。要望を聞いて製品に反映し“矢野産業仕様機”と言ってもいいくらいに仕上げてくれる。メーカならではの対応力だなと感心した」。UH35は、現場のニーズに応えるだけでなく、大型ショベルをもっと進化させようと、お客様と情報共有しあい、製品開発に取り組む日立建機との歴史そのものだったという。
日向砕石工場の礎を築いたUH35は、EX1200が導入された2008年(平成20年)を機に、21年間におよぶ現役稼働を終了。功労機として再塗装が施され、日向砕石工場の正面玄関前に展示されている。「これを見れば、当時の苦労やいろんな思い出が蘇ってくる。愛情がなければ展示なんかしないよ」(矢野社長)。

日向砕石工場

日向砕石工場

かつての情熱をもう一度

「日立建機には情熱のある人が少なくなったね」。インタビュー冒頭、矢野会長は寂しそうに語っていた。かつて日向・田野の両工場にあった建設機械は、ほぼオレンジの車体で占められていたという。近年、ローディングショベルでの積み込み作業をホイールローダで行うようになったことから、同社の工場で稼働しているローディングショベルはEX1200が2台、日立建機製品は合計で12台が稼働している。「日立建機の機械は確かに立派。でも、それ以上に素晴らしかったのは担当者の情熱とフットワーク。もし機械トラブルが発生したら、会社全体でカバーしようとする心意気が感じられた」(矢野会長)。

代表取締役会長 矢野久也氏

代表取締役会長 矢野久也氏

矢野社長も、かつての担当者が会長宅のそばに家を借りてまで、朝な夕なに足繁く通っていた姿が忘れられないという。「ここまでされたら日立建機から買わないわけにはいかない、と会長も盛んに言っていた」。そんな時代を知るだけに、今の日立建機には少し寂しさを感じるそうだ。「当時の人たちは、機械を買った後もお土産(業界の情報)をたくさん抱えて、絶え間なく現場を見に来てくれた。そして、自社の製品を売り込むときも美辞麗句を並べるだけでなく、想定されるトラブルや弱点も包み隠さず伝えてくれた。今の日立建機は製造と販売で会社が分かれたせいか、工場関係者が訪ねてくる回数が減ったし、来たとしてもビジネスライクな話ばかり。会社の体質が変わってしまったのかなと感じる」(矢野会長)。
そんな中、2013年(平成25年)・2018年(平成30年)に導入したZX350H・ZH200-6のコストパフォーマンスについては、とても高く評価しているという。同社では機械1台1台の減価償却費、修繕費、燃料費に至るまでコスト計算を徹底し、1円1銭単位で細かく記録している。「私たちもメーカにいい加減なことを言わないよう、厳しく自己管理を徹底している。ユーザはそこまでシビアな目で機械を見ているということをわかってほしい」と会長。厳しい言葉の裏には、購入する機械1台1台に注ぐ愛情の深さがにじんでいた。

代表取締役社長 矢野俊也氏

代表取締役社長 矢野俊也氏

  • UH35の後継機 EX1200

    UH35の後継機 EX1200

  • 日向砕石工場で稼働するZH200-6

    日向砕石工場で稼働するZH200-6

時代の風を取り入れ続ける

宮崎県内の砕石出荷量は、ピークの1990年代と比べ減少傾向にある。公共事業の工事量が大幅に減少している上に、資源リサイクルによる循環型社会の要請が高まっていることも大きな一因だ。
そんな時代を見越し、同社は1999年(平成11年)再生砕石の生産・販売を行う宮崎再生資材株式会社を設立した。また、2013年(平成25年)には世界最大級の太陽光電池工場を持つ企業と共同で、宮崎県東諸県郡国富町に太陽光発電所を設置。2015年(平成27年)に設置した日向市の発電所とともに順調に稼働している。
時代のニーズに応じた新事業に取り組む中で、2019年(令和元年)新たにはじめたのが、なんと保育園事業である。「子育て中の社員も安心して働ける会社を作ってあげたかった」と、会長自らが名付け、設立した『みどりのおか保育園』は、社員の子ども、地域の子どもがともに通える保育園として本社に併設されている。立ち上げには保育の専門家を交じえイチから取り組んだ。「保育室の外にいるスタッフでも子どもたちの様子がよくわかるように、廊下やドアの窓を大きくしようと提案してくれた。さすがプロのアイデアは違うなと思ったよ」(矢野社長)。まったく畑が違う異業種とのふれあいは、本業にも大きな刺激になっているという。
近年、同社では一度辞めた社員が再び復帰することも増えてきたそうだ。「保育園もそうだけど、会社経営も結局人づくり。外を見てきてウチのよさに気づくこともあるだろうし、大切に育てていた社員たちだから戻ってきてもよく働いてくれる。日立建機も人づくりをがんばらなきゃいけんね」と会長。東九州自動車道の4車線化も本格化し、本業もますます忙しくなる中、矢野産業が新たに撒いた種がどういう花を咲かせるか、今後も目が離せない。

  • 2019年(令和元年)10月にオープンした『みどりのおか保育園』

    2019年(令和元年)10月にオープンした
    『みどりのおか保育園』

  • 本社には多くの女性スタッフが勤務している

    本社には多くの女性スタッフが勤務している

TOPIC環境を整え、地域に還元

矢野会長は常々社員に対し「仕事は楽しみながらやってね」と声をかけているという。「どんな仕事でもやっぱり遊び心は大事」。そんな会長の思いを体現するかのように、本社・工場の敷地内に公園(ファクトリーパーク)を造り、地域の住民にも広く開放している。公園内には季節ごとに鮮やかな花を咲かせる木々が植栽され、東屋や藤棚など憩いのスペースも設置。ソフトボール場やゲートボール場などスポーツができるスペースは、毎日のように地域の子どもやご老人たちで賑わっている。また日向砕石工場は、その迫力ある壮大なロケーションを活かし、有名ドラマや大手企業の広告・CM撮影にも多く利用されている。仕事を超えた地域や社会とのつながりは、社員の士気向上にもつながっているという。

UH35

納入年 1987年(昭和62年)
号機 131
運転質量 92t
定格出力(PS/rpm) 540/1,800
バケット容量 5.1m3
特徴 UH30を35~50t積みダンプトラックに適合させるべくフルモデルチェンジしたマイニング油圧ショベル。省エネルギー技術としてリリーフカットオフ制御やオートアイドル制御に加え、旋回停止時の慣性エネルギーを回収することで燃費低減が図れる旋回閉回路を日立建機として初めて採用。
21年間の現役生活を退き、日向砕石工場の正面玄関前に展示されているUH35。

21年間の現役生活を退き、日向砕石工場の正面玄関前に展示されているUH35。

矢野産業株式会社

事業内容 砕石製品の生産・販売(コンクリート用砕石、アスファルト合材用砕石、路盤材一式、道床用バラスト、土木用割栗石、ジャカゴ石、港湾用捨石、農業用ロックワン、グランド用美砂(ミサゴ)、砕砂Fe石灰、ソイルセメント
代表者 代表取締役会長 矢野久也
代表取締役社長 矢野俊也
設立 1962年(昭和37年)5月1日
所在地 宮崎県東諸県郡国富町大字木脇3952-3
ホームページ http://yanosangyou.co.jp